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義父さんシリーズ - 優しくなれなかった・・・の巻(長いです)

また義父さんの話、2月に戻ります。。。

義父さんは2月18日のバースデーにアヒルを食べたあとも、どんどん
食べなくなっていきました。
お水ばかり飲み、のどから胸が痛くて、食べ物が入らないと。。。
それでも「食べなくては」と思っているようで、私にごはんとフェジョンと
その日のおかずを一緒にミキサーにかけて欲しいというので、ドロドロの
クリーム状にしたりしていました。
でも、ほんの少し食べると手が止まり、どこか1点を見つめて考え事をするのでした。
それが、とにかく寂しかった。。。


3月に入ってカーニバル休暇をTia Izeldaのうちで過ごし、休暇が終わって
戻ってくると声がほとんど出なくなりました。


ある明け方、ペドロが1Fで物音がして目が覚め、義父さんの部屋に様子を見に行くと、
義父さんが頭を逆さに上半身がベッドからずり落ちた状態だったそうです。
どうやら、トイレに行こうと起き上がろうとして、うまく起きられずにそんな体勢に
なってしまったようでした。そこで、ペドロと相談して、何かあった時には呼んで
もらえるよう笛を渡すことにしました。
でも、それが失敗だった。。。

何でもないことでも、しょっちゅう笛を吹いて呼ぶようになったのです。
私のイライラが始まったのはこの頃からだと思います。


ペドロも他のことが手につかず、困ったね・・・と話していたら、義父さんが笛を失くしました。そして、ベッド脇のテーブルを叩いて呼ぶようになりました。
それが、すごい力なんです。
病気で弱っている人とは到底思えない近所にも響く大きな音

ガンガンガンガンガンガンガンガンガン

テーブルが壊れるんじゃないかと思いました。



そのテーブルを叩くのもひんぱんになってきました。
でも、叩く力はまったく衰えなかった。

私もイライラがたまってきて、3回に1回位は無視してしまいました。
そして、義父さんに声をかけることも減っていきました。
たぶん、義父さんには険しい顔をしていたと思います。



そして、夜中でも頻繁にテーブルを叩いて、ペドロを呼ぶようになり、
ペドロはもう何日も眠れないでいました。ペドロの顔が疲れていて、このままでは、
ペドロの方が倒れてしまうと、私はそればかりがとにかく心配で・・・
義父さんがペドロを呼べば呼ぶほど、私の中で義父さんが憎たらしくなっていき、
笑顔もなくなり、テーブルを叩いて、呼ばれていくと「O que!!!」と
半分怒り気味で応えるようになっていました。

反対にペドロは一生懸命でした。
文句1つ言わずに、義父さんがわけわからないわがままを言っても、なだめたり、
淡々とお世話をするばかりでした。
すぐにでも、日本に帰りたい気持ちを捨て切れずにいた私は、ペドロと義父さんを
このまま置いて、グロリーニャを連れて日本に帰ろう!と心をよぎるのですが、
とにかく一生懸命なペドロを見ると、こういう時に私達3人が絶対離れちゃいけない!
私は義父さんのことは何もできなくても、ペドロのそばを離れちゃいけない!と思うのと
同時にこんなに健気に頑張っているペドロが、とてもかっこいいと思ったし、
もっともっと好きになるのでした。





その日の夕方。
暗くなってきたので、ベランダ側のドアを閉めようと外を見ると、ベランダのハンモックで
寝ていた義父さんが、ハンモックの下で倒れていました
びっくりして、慌ててペドロを呼び、抱き起こしてイスに座らせると、顔色がさらに白く、
目がギョロッと少し飛び出たような表情になっていました。

「お父さん、なんかヤバい・・・」

ペドロが言いました。
お水を飲んで、ちょっと落ち着くと、病院に連れて行って欲しいと言ったので、
すぐに行くことに。
車で出て行きました。

。。。10分程すると戻ってきました。

「どうしたの?病院行ったの?」
「ううん。Maricáのセントロの病院に行こうとしたら、父さんが、そっちじゃない!リオのセントロの新しい病院に行きたいって言うんだ。行ったことない病院だよ。もう夜になっちゃって、このボロ車じゃリオのセントロのしかも初めてのところなんて行けないよ。
だから引き返してきた。明日の朝連れていく。」

なにやら、またわけわかんないこと言ってるんだなーと思ってました。

そのあと、ベッドで横になると、20分おき位にペドロを呼びました。

ガンガンガンガンガンガンガンガンガン

もう私はペドロが心配で仕方ないのと、この音と、わけわからないこと言うことと。。。
今までのことが沸々と湧き上がってきて、母親に愚痴のメールをしていました。
今夜、またガンガンやって、ペドロを寝かせないのなら、明日義父さんに
一言言ってやる
そう思ってました。
同時にTia Zildaやペドロの妹達に相談しようと考えてました。
早くしないとペドロが倒れちゃう!


その夜はペドロも一度ベッドに入ったものの、すぐにガンガンガンが始まり、1Fに行ったままなかなか戻ってきませんでした。
私はすっかり眠ってしまい、朝起きるとペドロは1Fにいました。そして、
まだガンガンガンと呼ばれては義父さんの部屋に行ってました。
どうやら徹夜だったよう。

「ちょっと横になった方がいいよ。」


そう言うと、ペドロはソファで横になり、すぐにスーッと寝入りました。
その直後にまたガンガンガン
もう!なんだよー!いい加減眠らせてあげてよ!!!
そう思って、ペドロを起こさなかったし、私自身も義父さんのところへ行かなかった。
いつもなら、しつこく、何度も叩くのに、このときは1回で止みました。

ん?さすがに義父さんも眠ったな。よかった。


・・・と思ってると、ペドロが10分位ですぐに目を覚まし、
「父さんは?」
と言うので、
「1度だけガンガンガンっていったけど、そのあと静かになったから、寝たんじゃない?」
と答えました。
でも、ペドロが様子を見に行って、すぐに部屋から出てきました。

「死んじゃった。。。」




へっ???
だって、さっきまで、あんなに強い力でテーブル叩いてたじゃない。
ガンガンガンって。
えっ?

すぐに2人で部屋に入って、「Pai!Pai!」と揺さぶりましたが、返事がなく。
代わる代わる、心臓に耳を当てましたが、何も聞こえませんでした。


ペドロは動揺しながらも、Tia達や義兄さん、義妹達に連絡をしました。



私は、それまで、病気で亡くなっていくときは、病院でいろいろな機器につながれ、もう寝たきりで何をする力もなく、話す力さえもなく、亡くなっていくものだと思っていました。でも、義父さんは、前日具合悪くなったけど、自分で歩いていたし、ちょっとだけど食べてたし、何よりもテーブルを叩く力は本当に強かった。たぶん、私よりも。
だから、どうにも信じられなくて。。。



連絡を受けて、Tia Zildaがすぐに駆けつけてくれました。
ペドロがシャワーをしていて、いなかったとき、Tia Zildaに謝りました。
「Tia、ごめんなさい。私、文句言ってたの。最後優しくできなかった。。。ペドロが倒れちゃうって心配で心配で」そう話している間にドワーっと涙が出ました。


私は義父さんが体が痛くて辛くて苦しかったのを、ぜんぜんわかっていなかった。
優しくなれなかった。
ごめんなさい。と言っても遅いですね。心のもやもやが残ったままでした。



義父さんは、とても苦しかったと思うけど、亡くなった顔は、なんだか
笑っているようでした。
その日、一気に親戚の方が来られて、次の日はすぐにお葬式でした。
そして、お葬式が終わるとまたみんな嵐のように帰って行きました。



あっという間の出来事で、みんなが帰ったあと、私は何もする気力がなく、しばらく、ぼーっと考え事をしてしまいました。どうして、義父さんは栄養剤の点滴をしてもらわなかったの?どうして入院しなかったの?胸が苦しいってずっと言ってたじゃない。よくわからないけど、何か機器をつけたりすれば、もっと生きられたんじゃないの?

ペドロに聞くと
「公立の病院でタダだからね。。。日本はお金払うから、精いっぱい治療してくれるんでしょ?」と。

そうか。。。日本は長寿国って言うけど、でも、それは、もしかしたら機械の力を借りての話かもしれないんだなーと思いました。結局は日本もブラジルも同じ人間、同じ体なんだなーと。
こればかりは本当に難しい。しばらく、いろんなことをたくさん考えてしまいました。


みんなが帰った夜、ペドロが言いました。
「ありがとうね。よくがんばってくれたね。Tia達もすごく感謝してたよ。優しくなれなかったって、自分を責めないで。父さんはああいう人だから、みんなもわかってるし、
君が頑張ってたのも僕もみんなもわかってるよ。本当にありがとう。」と。
どうにも複雑な涙が出ました。


考えてしまうことはたくさんあるけど、でも、このタイミングでブラジルに
グロリーニャを連れて行って、少しでも一緒に過ごせたことは、とても良かった
と思います。
私は義父さんのおかげで、親戚の人たちとたくさん会う機会ができたし、
お料理もたくさん教えて頂いたし、今まで私が知らなかったこと、考えもしな
かったこと、いっぱい勉強になりました。
気持ちが落ち着いた今は、感謝の気持ちでいっぱいです。


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義父さん | コメント:(12) | トラックバック:(0)2011/07/16(土)12:36

コメント:

涙。。

自分の祖父のことなど思い出しました。最後の数年家で見ていたときは母が大変でした。 でもほんとに最後の数ヶ月は意識もなく入院しっぱなしで、家に戻ってきたときは遺体として、でした。
ほんとうに家で最後を迎えるっていうのはこういうかんじなんですね、ある意味突然で。
きれいごとじゃないですよね、優しくしてあげなきゃ、と思っても生身の人間として出来ないこともある、pattinhaさんがんばられましたね! ペドロさんも!

2011/07/16(土)22:33| URL | じんじん #- [ 編集]

はじめまして…。
祖母の事を思い出しました。
とても複雑ですよね。
だって…最後の呼び出しの時に、すぐ見に行っていたら、また状況が変わったかもしれないんですもんね…。
ペドロさんは感づいていたからすぐ起きたのでしょうか。。。
お悔やみ申し上げます。

2011/07/17(日)07:20| URL | らら #RSx9Hk0E [ 編集]

じんじんさん、ありがとうございます。

あー、じんじんさんv-409そんな優しいお言葉、本当にありがとうございますe-466
じんじんさんのお母様も大変でしたねv-409
ほんと、家で家族が看取るというのはこういうことなんでしょうね。。。
義父さんは普段はリオのセントロの病院に通院していたのですが、Tia Izeldaの家に行ったときに、近くの大きな病院でも診てもらいました。そのとき、先生は、診察したわけではなく、一目義父さんを見て「もう長くないですね。何もできません。」とすぐにペドロに言ったそうです。でも、自分で歩いてたし、少しだけど食べたし。なんで何もしてくれないんだろう?と思いました。
こういうところでも、日本とブラジル、違いますね。

Pattiinhav-521

2011/07/17(日)09:36| URL | Pattinha #- [ 編集]

ららさん、ありがとうございます。

ららさん、はじめましてe-257
コメントありがとうございますe-466

たぶん。。。状況からして、最後にすぐに見に行っていても同じだったと思います。でも、何か言いたかったかもしれないし、ペドロでも私でも何か声をかけることもできただろうと思うと、やっぱり、すぐに見に行くべきだったと後悔しています。
ペドロは、それ以前から心配で眠れない日々が続いていて、最後の1週間は実際に義父さんからも呼ばれつづけ、ほとんど寝てない状態で、疲れ果てていたはずなのに、すぐに起きたのはやっぱり何か感じていたのかもしれませんね。

Pattinhav-521

2011/07/17(日)10:05| URL | Pattinha #- [ 編集]

すごくお気持ち分かります

私も2007年 まだ日本にいる時父を癌で亡くしました。
私の主人(ブラジル人)は父の面倒を良く見てくれました。同居してたので・・・父は末期ガンで治療をしてたけど、もう難しくなり家で介護する事になりました。ところがその時家の3番目が2歳になったばかり、4番目が4ヶ月ととても大変な状況でした。歩くのも不自由だったので、いろいろな人に手を借りてたけど、やはり大変で、結局ホスピスに入院させる事になってしまいました。入院して21日後になくなったのですが、なくなる少し前は急に怒り出したりしてました。私はお父さんを入院させてしまった事、とても後悔しました。入院させる時、もう入院か とボソッと父が言った事が忘れられません。本当は家にいたかったんだろうなぁと思います。最期まで家で面倒を看ていた事はとてもすごい事です。涙が出てきてしまいました。
すごーくお気持ち分かります。でも状況的にはすごく大変だったと思います。ブラジルの人は本当に両親の面倒を一生懸命看ますよね。主人は私の父を実のお父さんのように面倒看ました。私の父も一番主人に頼ってました。ブラジル人の素晴らしい所ですよね。

2011/07/17(日)11:00| URL | りんりん #- [ 編集]

はじめまして

はじめまして。
癌の末期の患者さんのご家族は、患者さんが弱っていく姿を見るのが辛くなって、ほとんど面会に来なくなることもあります。患者さんは一人で死の恐怖と戦っているような、強い孤独感を抱くこともあります。
ご家族にとっては、限られた人数で自宅でケアすることは大変だったと思います。でもお義父さんにとっては、最後の時を愛するご家族の側で過ごすことがきて、幸せだったのではないでしょうか。
Pttinhaさんが旦那様と離れなかったことにも、家族の強い絆を感じました。素敵なご家族ですね。

2011/07/17(日)11:36| URL | Piro #- [ 編集]

わぁ、涙でます。。。

りんりんさん、辛かったですね。。。コメント読んでて涙がでてきてしまいます。
しかも育児もいちばんかわいくて成長が楽しみな時期でもあり、いちばん大変でもあるときだったんですね。
お父様の介護といろんなことが重なって、本当に苦しかったでしょう。。。りんりんさんの悔しさが伝わってきました。介護って精神的にしんどいですよね。さらに、自分の親だったら寂しさも加わって、本当に辛いことだと思います。どうするべきだったか考えちゃって、そうできなかったことを後悔して、自分を責めてしまいますよね。
わかります。

りんりんさんのご主人は素晴らしい方ですね。実のお父さんのように面倒を見るなんて、なかなかできないですよ。リンリンさんもご主人が一生懸命お世話してくれるのを見て、かっこいい!って思いませんでしたかe-446?お父様もご主人が素晴らしい方でとても嬉しかったでしょうね。
私も義父さんのことで、ブラジル人の家族、兄弟姉妹を想う気持ちの強さをものすごく勉強させてもらいました。私もちょっとでもそうなりたいと思いますe-454

Pattinhav-521

2011/07/17(日)12:08| URL | Pattinha #- [ 編集]

感動しました。
それと同時に旦那のお父さんを思い出しました。
私たちがブラジルに来て数カ月後になくなりました。
お父さんは日本人で 息子娘のうち誰かが日本人と結婚することを望んでいました。そして旦那が私という日本人を連れてきて数ヵ月後 突然の病気で亡くなったのです。
旦那も家族もいつものようにわがままを言っているとちゃんと聞いてあげられなかったことがとても悔いに残っているようです。病気であるって分かっていても 心のどこかで叫んでいたんだと思います。
今は残されたおじいちゃんにはお父さんと同じ思いはさせたくないと家族一同 お父さんに教えられたと言っています。
pattinhaさんが旦那さんを心配する姿とても心打たれました。

2011/07/18(月)05:52| URL | TEE #- [ 編集]

たぶん・・・

Piroさん、コメントありがとうございますe-466
はじめまして!というより、たぶん、私がチョコチョコお邪魔させてもらってるブログのPiroさんですかね?
ネコちゃんがいる。。。違ったらすみませんe-466

Piroさん、優しいコメントをありがとうございます。
家族が弱っていく姿を見るのはやぱり辛いですよね。私もなんだかんだ文句言ってましたが、義父さんがほとんど食べなくて、食べ始めても、すぐに手が止まり考え事をする姿を見るのが本当に寂しかったですe-441
主人は表には出さなかったけど、すごく辛かったと思うのに、本当に淡々と、でも一生懸命で、その姿を見て、この人と結婚してよかったと心から思いましたe-446
このときは、精神的にもとても大変でしたが、ブラジルの人の家族を想う気持ちや、助け合い精神に触れられ、今まで考えもしなかったようなことも勉強になったので、義父さんに感謝です。

Pattihnav-521

2011/07/20(水)10:49| URL | Pattinha #- [ 編集]

Teeさん、Boa Noite!

Teeさんもブラジル来て、辛い想いされたんですねe-441
ブラジルにまだ慣れてないときに、お義父さまも病気になられて、大変でしたね。

Dannyさんの気持ちもわかります。
やっぱり、病気になるとわがままになって、わかってはいても、ずっとは聞いてられないし。。。それにね、そんなあっけなく亡くなってしまうなんて思いもしないじゃないですか。でも、あとで、あー、痛かったんだなー、苦しかったんだなー、わかってあげられなかったって後悔してしまうんですよね。難しいです。
でも、お義父さまはTeeさんに会えて嬉しかったでしょうねe-257
おじいちゃんをみんなで大切にしようっていう気持ち、素敵ですe-446ブラジルの助け合い精神、本当にいいですよねe-415Teeさんも無理せず、頑張ってくださいね。マイペースで!

Pattinhav-521

2011/07/20(水)11:29| URL | Pattinha #- [ 編集]

ほんとうに、よくがんばりましたね。。。

Pattinha さんは優しくなれなかった、のではなく、
(現在進行形で)一生懸命で、優しいのです。
優しい、ということは、強い、ことの裏返しです。
この記事だけでなく、
義父さんシリーズだけでもなく、
いろいろな記事を拝読して、そう感じています。

身近な人が亡くなることは本当に哀しいことで、
あとから悔やまれることもたくさんあります。
けれども、
生きている、ということは、
そういうことの繰り返しなのではないか、
と、
ちょっと都合のよすぎる解釈かもしれませんが、
最近、そう思うようになりました。

お義父さまを亡くされたことはペドロさんもおつらいでしょうが、
きっと、なにか、得たこともあると思います。

お互い、日々、無理をせず、できることをがんばりましょう!
って、これは自分に言い聞かせています。
一生懸命な Pattinha さんから、元気をいただきました。
ありがとう!

では、また!

2011/07/21(木)04:39| URL | TAMAGO #q8u6Mhi2 [ 編集]

TAMAGOさん、ありがとうございます!

TAMAGOさん、なんて温かいコメント。。。
本当にありがとうございますe-446

私は気が小さいくせに、性格がきつくて、何度も周りの人を傷つけてきましたe-441
自分の何か枠があって、それに外れた人はなかなか理解しようとしないところがありまして。。。小さいときからずっとそうです。だから、何か悩む人の気持ちや、そうできない人の気持ちをわかってあげられず、自分が同じ状況に陥った時、苦しい、辛いって、わかるんですよね。そうやって、何か悩んだとき「あー、神様が私が人の気持ちをわかろうとしないから、同じ試練を与えたんだ。この試練をよく噛みしめないと」と思うようにしてます。とはいうものの、泣いて泣いて、弱音吐いて、どうしようもなくなりますがe-444
だから、ちっとも優し強い人間ではない、根性無しですv-394
義父さんのときも、母や友人にもメールでよく愚痴ってました。

私こそ、いつもTAMAGOさんの楽しいブログに励まされ、笑わせてもらってます。
ありがとうございますe-257
そうですね、できることをマイペースで頑張っていきたいと思いますv-91

Pattinhav-521

2011/07/21(木)10:28| URL | Pattinha #- [ 編集]

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プロフィール

Pattinha

Author:Pattinha
2010年8月、ブラジルへやってきました。カリオカの夫と5歳の娘とリオデジャネイロ州マリカ市に滞在中。
子供のころのあだながアヒルだから、Pattinha♡
口がアヒルみたいって。。。
ふん、ほっとけ

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