スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告--/--/--(--)--:--

救急車

ペドロは、日本にいた14年の間で、5回、救急車で運ばれました

1度目は、激しい腹痛と止まらない嘔吐で、のちに十二指腸潰瘍が原因だということがわかりました。今は完治してます。
2度目も激しい腹痛 これは、腎臓結石でした。
3度目、4度目は、椎間板ヘルニアで 
5度目は、飲みすぎ・・・  アホ

こうして、あとになって話せば、どれも、なんてことないことなんですが、もう、その時は、すごい痛がってたり、苦しんでたり、私もどうしたらいいかわからず、半パニック状態になって、どうすることもできず、救急車を呼びました



そんな日本での救急車体験話を、ブラジルで、まず、親友のマリオ夫妻に話したら、
「へぇ~、いいねーそういうので、救急車に乗れるんだー。僕も腎臓結石で、すごい腹痛になったけど、自分で病院に行ったよ。あれ、ほんと、痛いんだよなー。」と。
だけど、マリオはそんな痛みを抱えて、一体どうやって病院に行ったんだろう???


ペドロのいとこにも、救急車体験話をしたところ、
「そんなことで、救急車呼ぶの
ブラジルじゃ、もう、死んでしまうっていうぐらいじゃないと呼ばないよ。」
と言われました。
イヤ、私だってね、むやみに救急車を呼んじゃえ!なんて思ってるんじゃないのよ
救急車呼ぶのだって、なんか勇気いるしね。あんなに痛がってたら・・・ねぇ~


日本に帰国してすぐ、救急車のサイレンが遠くに聞こえたときに、こんな話しをしたことを、ふっと思い出しました。それから、救急車のサイレンを意識するようになったら、
ほんと、毎日といってもいいくらい、どこかしらで聞くんですうちが、場所的にそうだというわけではなくて、実家にいても、外出先でも、聞くんです。
ブラジルにいたときは、まあ、田舎だったというのもあるかもしれないけど、こんなに頻繁に見かけなかったし、サイレンも聞かなかったな。。。



これって、やっぱり、救急車に対する意識っていうのか。。。変な表現だけど、
ブラジル人と日本人の救急車を呼ぶタイミングの違い、ありますね。
日本じゃ、一時、自分で病院にいけるのに、面倒臭いから、救急車を呼んでしまうと
いう人がいて、本当の緊急の時に救急車が足らなくなってしまうことがあるって、
社会問題にもなってましたね。それは、本当に良くないことだけれど、
ブラジルでは、マリオみたいに、どんなに痛くても、少しでも動ける限り、自力で病院に行くなんて、ブラジルの救急車に対する意識の背景には、また私には想像つかないようないろいろなことがあるのかな~なんて、思う今日この頃です。

あー、考えすぎかしら


応援クリックお願い致します。
     ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ
にほんブログ村

スポンサーサイト


感じたこと | コメント:(4) | トラックバック:(0)2011/10/02(日)23:09

グダグダ ダメダメ。。。な私(暗いです)

ブラジルで過ごした1年で体重が5キロ落ちました
元々食べることが好きで、ブラジルでもたくさん食べていたんですけどね。。。
私、いつもそうなんです
精神的に参ってしまうことがあると、食べても体重が落ちて、膀胱炎になるんです。
もっと重症になると、食べられなくなるんだけど、今はたくさん食べてるから、
まだ大丈夫って思ったり。
今回は下痢気味がずっと続いてます。


あんなにブラジルに住むことを目標にしてきて、順調に家も買ったし(まあ、いろいろあったけど)、ペドロがいつも守ってくれていたのに、ブラジルの何がそんなにダメなんだろう???
いや、言い出せば、キリがなく、それはそれで理由がたくさんあるんだけど、
それにしたって、私はいつからこんなに融通のきかないカチコチ人間に
なってしまったんでしょう???
しかもね、私、自分で気づいてなかったんですよね。

旦那さんの転勤で、現在バンコクで駐在生活を送っている親友のミエコが、
私のブログを読んで、
「Pattinhaが、ブラジルの警察のずるさとか、文化や社会の違いにそんなに戸惑う人だとは思わなかったよ
とメールをしてきました。
そう言われて初めて、「あーーー、ほんと、そうだよねーーー」と気付かされました。




1年ぶりに帰ってきた自宅
小さくて古い家だけど、「あー、私の家」と心からほっとするのです。
近所を歩いても、相変わらず、しゃれた店があるわけじゃなく、スーパーや学校、病院、銀行、郵便局。。。と生活に困らない程度の環境が整ってるだけの田舎の小さな街だけど、帰ってきて「あー、私はやっぱり、この街が好きだなー」とつくづく思ってます。


ブラジル時間の先月15日。
ペドロは最後まで優しく、かっこよく、私と優奈を空港まで送ってくれました
結婚以来15年、めったに泣いたことのなかったペドロが。。。あのペドロが。。。
別れ際、目にいっぱい涙を浮かべていました
12月にペドロも日本に戻ってくるし、自分が日本に戻れることで頭がいっぱいだった私には、ペドロのそのあまりにも悲しそうな表情は予想外で、心の奥底で押し殺していたいろんな感情が湧きあがり、私もボロボロ泣いてしまいました
そんなパパとママを見て、グロリーニャも泣いてしまいました
このとき、「あー、私達3人は一緒にいないとダメだな」と、よくわかりました。
私が早くブラジルでの生活に心を決めなければ


でもね・・・
今はブラジルにまた戻って生活していくことを考えると、何ていうのか、何かがのどにひっかかって飲み込めないような感覚になり、吐き気がしてくるのです
また戻った時に、今度は少しでも快適に暮らせるように、
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ・・・
しまいには、ブラジル生活の感覚を忘れないように、ブログも書かなきゃ・・・
楽しく書いていたブログもいつの間にか"Tenho que"(must)になってしまっていて。
焦るばかりで、何もやる気が起きない日もよくあって、私、もしかして、うつ病?
なんて、頭をよぎったりして。
いやいやちゃんと眠ってるし、ご飯もしっかり食べてるから、大丈夫

そんな中での救いは、やっぱり両親、友達、ペドロ&グロリーニャ
両親、友達、ペドロのことは書き始めると長くなるので、またにします。

グロリーニャのことは、ブラジルで本当に心配で、厳しすぎるほど躾けてしまいました
でも、そんな心配はよそに、優しい女の子に育ってくれています。

9月11日は、東日本大震災からちょうど半年。そして、アメリカのテロからちょうど10年。
日本では、TVで特集番組をよくやっていました。
その番組のひとつを見ていた私。。。震災で被災された方々の今がんばる姿を見て、今のダメダメな自分と比べて、もうどうしようもない感情が込み上げて、つい、ボロボロ涙をこぼしてしまいました。
そんなダメママをみて、グロリーニャが黙ってタオルをとってきて、
涙をふいてくれました

あー、ごめんねーママ、弱虫だね。。。


そのグロリーニャ
最近、友達の影響で、自転車の補助なしの練習をして、どうにか乗れるように
なりました
「ママ!私、あきらめないで、がんばったから乗れるようになったでしょ?
ママも頑張って
だって。そうだねー。。。あー、でも、生意気




最近、そんなんで暗ーくなったり、前向きになったりの繰り返しなんですが、
ちょっとしばらく、がんばるのやめよっかなって思ってます。
いろんなこと考えることは、どうにも止められないけど、あれしなきゃ、これしなきゃって
思うの、ちょっとやめることにします。
元々、どれもこれも自分でやりたいって思うことばかりだから、気分がのったときに
できることからやってみようかな。。。と。甘いかな。。。


こういう時だって、あるよね。。。


応援クリックお願い致します。
     ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ
にほんブログ村


感じたこと | コメント:(6) | トラックバック:(0)2011/09/15(木)18:43

日本に帰国してます。

先月17日に私とグロリーニャの二人で日本に帰ってきました
ペドロは12月に帰ってくる予定です。

元々、3か月を目途にブラジル体験生活をしてこよう(先々ブラジル移住を考慮に入れて)と、日本を出たので、1年のオープン航空チケットで行ってました。
そのちょうど1年で帰国しました。
だから、また少し、いろいろ考えつつ、ブラジル生活で必要な物を準備して戻るつもりだったし、飛行機のチケットがあるから帰るんであって、逃げてるつもりはありません
でした




帰国してしばらくは、自宅のライフラインや電話、インターネットがつながるまで実家にお世話になってましたが、今は元の自宅に落ち着いてます。
日本に帰ってきてすぐは、ゴミがなく、きちんと整備された街のきれいさに、未来都市にでも来たような感覚で、トイレに入っても、一瞬ゴミ箱を探してしまったり(ブラジルでは使用済みトイレットペーパーはゴミ箱に捨てます)、何よりも、シャワーのお湯がたくさん出ることに、すごーく幸せで
ブラジルに行ってて、日本を離れていたのは、たったの1年なのにね。

日本製品もやっぱり、どれもこれも良くて
最初に感動したのは、シャンプーかな
天候のせいもあると思うけど、パッサパサになってクルクル髪の毛が1本1本バラバラになって、モアモアになってたグロリーニャの髪の毛が一気にスルスルになり、ツヤツヤになり、櫛通りがよく、まとまりやすい髪の毛に変わりました

それから、歯ブラシ&歯磨き粉
日本ではずっと「クリアクリーン」を使ってます。これだって、どちらかといえば、安い方で、今はもっといい物で高い物、どんどん出てますよね
歯ブラシはこだわりはなく、1本100円くらいの安売りしているのでじゅうぶん
ブラジルでは、どちらも、とにかくスーパーにあったいちばん安いものを使ってました。
でも、ブラジルってさ、歯ブラシ、高いですよねすぐダメになるし、それほど磨き心地も良くないのに。安い物でも、平気でR$5(250円くらい)とかR$6(300円くらい)とかしますよね。

帰国して歯ブラシを買い替えて、クリアクリーンで磨いたら、「今までの歯磨きは何だったんだろう?」と思うくらい口の中がさっぱり、歯がツルツルで気持ち良くて
皮が1枚むけたような感覚でした。
でも、ブラジルでだって、ちゃんと磨いてたし、そのときはそのときで、口の中がきれいになって気持ちよかったんですよ。それなのに。。。


それから、食器用洗剤。油ものもきれいに洗えるし、泡切れもいい
あと、掃除機ね日本の自宅にあるものは、結婚した時に両親に買ってもらった物なので、15年前のもの。ブラジルでは去年11月頃に買った物です。
まず、違うのがスイッチの位置。
日本じゃ、当たり前のようにホースを持つ手元についてるけど、ブラジルのは本体についてます。日本も昔はこうでしたね、確か。そして、日本のは「強い」「弱い」と何段階かあるのに、ブラジルは「ON」「OFF]のみ。掃除してても、ブラジルのは何かにつっかかるとすぐに転がるのに、日本のは小回り効くよね。
そして、肝心のゴミ吸い取り力。これは、全然違います
久しぶりに日本の掃除機を使ったら、感動しました。
「あーーー、きれいになってるーーーっ」って。
15年前の物でそうなんだから、今の最新のを使ったら、どれだけ違うんでしょうね。。。



電化製品なんかは、目に見えてわかるけど、日本製品の品質改良はどれもこれも
すごいスピードで日々進んでいるんだなーと実感しました。ブラジルに行くまでは、
こういうものに囲まれて生活していることは当たり前だったから考えたことなかったな。
逆にそれを当たり前として、ブラジル製品を見ると進歩があまり見えないような気がしちゃって。技術の問題がいちばんなんだろうけど、でも、私はその前にやっぱりブラジルの人の意識の遅れなんだと思わざるを得ません生産者側も、ある程度形になってれば、もうそれで良しとして、それ以上いい物を、便利な物を作ろうという気持ちが日本に比べて小さいし、それから、消費者側も、日本ほど厳しくないんだろうね。それって、ブラジル社会全部に見えますよね。前に話した「ブラジルの警察」「Detran」のことなんて、メディアがもっと厳しく追及したっていいし、「ブラジルのサービス業」だって、お客さんがもっと厳しくなったっていいし。


わかっていたことだけど、帰ってきて、日本製品の素晴らしさや、お店での接客、病院での温かい対応に感動して、痛感している日々です。


応援クリックお願い致します。
     ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ
にほんブログ村


感じたこと | コメント:(5) | トラックバック:(0)2011/09/13(火)09:46

ホームシックとの戦い 続き

昨年7月末、ブラジルへ出発する少し前、中学生の時の部活仲間の一人を
ガンで亡くしました。彼がガンだと聞いたときは、全く信じられませんでした。


中学の時の仲間とは、こんなアラフォーの年になっても、年に何度か会う
つきあいが続いてました。普段、みんな個々に会ったりしないけど、
時々そうやって集まって、お互い元気な顔を合わせて、近況報告をしたり。。。
でも、大体いつも昔のバカ話になり、笑いジワがくっきり残るほど、
毎回よく笑いました。

私はみんなに会うといつも思ってました。
「みんな口には出さなくても、大なり小なり悩みがあるかもしれないけど、
今はそれぞれ守るべき大切な人がいて、みんな元気に頑張ってる。良かった。」って。



彼に最後に会ったのは昨年1月。

いつも人任せの彼が、
 「こいつがさー、ブラジル行っちゃうって言ってるし、俺達の年齢の区切りも
  あるしさ、家族もみーんな一緒に集まって、ちゃんとしたスタジオで写真撮ろうぜ。」
と言いだしました。
 「よく言うよー。いつも飲み会のセッティングは宍戸任せのクセにー!」
女の子がつっつきました。
 「じゃあ、アンタがセッティングするんだよ!本当にちゃんとするのかなー。」
<宍戸>「そうだよ、オメーは自分の結婚式の2次会の司会も直前に俺に
    振ってきたやつだからな。」
 「わかった、わかったよー。俺絶対やるから!」
飲み会でそんな話をしました。


その後、私の壮行会の飲み会をやってくれるとのことで、日程調整のメールの
やりとりの中で、彼がガンになってしまったことを知ったのです。
彼になんて声をかけたらいいいのか戸惑いながら、みんなで励ましのメールを
送る毎日。結局、何も力になれないまま、最後会うことも叶わず、お別れと
なってしまいました。






彼の告別式。
彼からのメッセージで「象の背中」が映像とともに流れました。

 ある日神様が現れて、自分の命が終わる日を告げられるんです。
 そのときに人生を振り返り、家族への気持ちを歌ってる歌です。

それが、ブラジル来てからもずっとずっと頭から離れなくて。


ペドロは、私と一緒にいて幸せかな。日本で幸せだったかな。
ブラジルに住みたいに決まってるのに、もし、私がどうしてもブラジルが
ダメと言うなら、日本でまた暮らしてもいいよって言ってくれてる。
でも、ペドロの言葉に甘えたら、私は人生が終わるとき、ペドロのことを
想ったら絶対に後悔する。。。




彼は毎日病院の天井を見つめて何を思ってたんだろう。。。




ホームシックで日本に帰りたい気持ちと「象の背中」に挟まれて、
心が押しつぶされそうでした。




そんな日々が半年近く続き。。。
ペドロの元同僚のコーチ仲間が新婚旅行で我が家に遊びに来てくれました。
久しぶりの日本人感覚。
旦那さんは、Jリーグ関連のお仕事をされていて、ブラジル人のことも
よく理解されています。奥さんもとっても楽しく魅力的な方で、お二人に
たくさんたくさん話を聞いてもらいました。新婚旅行なのにすみません。

心が少しずつ溶きほぐれてきたのは、そのときからだと思います。


そして、実家の母が、日本語の活字に飢えてると言った私に、たまたま
荷物に入れてくれた1冊の本。「あなたは絶対!運がいい」浅見帆帆子さん著。
そこからも元気をもらいました。

「物事を何でもポジティブに受け止め、プラスパワーを増やす。
自分のやりたいことがわからないときは日常の小さなことでも、とりあえず、
目の前のことを一生懸命やってみる。そうすることでも、プラスパワーが増え、
不思議と自分の思い描く通りに事が進んでいく。」というような内容です。


私ってほんと単純なんだけど、それから、「ホームシックを楽しもう!」と
思うようになりました。こんなに両親、妹を想って、友達を想うことって
そうないし、自分が幸せだったという証拠だから。あの忙しい日本の生活
から一気に時間のある生活になって、不安になったけど、自分を見つめ直し、
家族を想う時間にしようと。

そう思ってたらね、この田舎にいて、小さい頃思い出すようになったんです。
野良犬がたくさんいるとか、空き地があるとか、土の道とか。。。近所の人
とのつきあいとか。
そう思ったら、不便なことも。
私、千葉の団地育ちなんですけど、幼少のとき、お風呂にまだシャワー
なんてなくて、お風呂沸かすとき、ハンドルを「カン!カン!」って
回して火をつけるやつだったんですね。なぜか、そんなこと思い出しちゃって。
あー、なんて不便だったんだろう。。。って。

お父さんとお母さん、そんな環境で私と妹を育ててくれたんだなーって。



そんなこと思い始めたら、ここもそんなに悪くないかも。。。なんてね。
今も完全に治ったわけじゃなくて、ふっと寂しくなることもあるけれど、
でも、自分らしさはすっかり戻ってます。
こういうことは、ブラジルっぽく、こうでなきゃいけないって考えを捨てて、
のんびり構えていこうと思います。




応援クリックお願い致します。
     ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ
にほんブログ村


感じたこと | コメント:(7) | トラックバック:(0)2011/06/23(木)11:59

ホームシックとの戦い

今はずいぶん楽になったんですけど、私、ずっとホームシックだったんです。
悩んだこと、どうして楽になったかことなんかを話したいと思います。


私は昨年8月、リオデジャネイロに来てすぐホームシックにかかりました
最初はブラジルの生活が思ったよりも不便ということからでした。
それに、私自身、年をとって子供もできて守りに入ってしまったと
いうのもあります。。。そう。守りに入ったから、ガチガチの日本常識に
ブラジルをはめこもうとしたんでしょうね。
今思えば、ちゃんちゃらおかしいんですが、これでも、私は僻地でない
普通に人が住んでいるところであれば、海外どこでも何とかやっていける
人間だと思ってました。


日本では普通のことは、ブラジルでは普通でない・・・
独特なブラジル時間に翻弄され、ブラジル人の自由奔放さにイライラし、
こんなところでグロリーニャが育って、きちんとした人間に成長するのか・・・?
それが、いちばん心配でした。

「ブラジル行ったら、ブラジルならではのお稽古事させたいな~。
女の子だけど、サッカースクールなんてあるかしら
バレエもいいわね。本人やりたがってるし。」なんて思ってたのに
ここにはそんなのないし。それ以前に学校教育大丈夫なのかしら?
午前だけとか午後だけとか。。。


いちばん身近で頭が痛かったのがペドロのいとこアドリアーナ。
前の子供のしつけでも話したけど、娘レチシアのしつけだけではなく、
彼女のやることが「え?」の連続でした

我が家がこの家に引っ越してきて、アドリアーナがみんなで来たとき。
台所で誰もいないときを見計らって、冷蔵庫をあさって食べるんです。
1度や2度じゃないんですよ。
前の日の残り物の入った鍋を出して、勝手に温めて食べてたときは、
本当にびっくりしましたそのあと、空の鍋が台所の
シンクにポイって置かれてて
せめて一言、ちょっと食べちゃっていい?とかかわいく
言ってくれてもいいのに。

ブラジルは自由だから、こういうのも普通なのかなぁ?
もし、普通だとしても、私は絶対やらないし、グロリーニャにも絶対に
やらないようしつけたいです。


グロリーニャ、こんなんなっちゃったらどうしよう?
そのときは、そんな心配ばかりしてました。
ペドロに話しても「まあ、いとこだからさ。」と別にいいというような
返答。たぶん、私がいつも文句言ってたから面倒くさくなっていたんだと
思います。

私のガチガチな日本常識の枠には、アドリアーナのやることなすことは
どう考えても入らず、どうしても許せませんでした。
誰かに話したい。。。私がおかしいのか誰かに聞きたい。。。だけど、
誰にも聞けず。


他の親戚の方や友達はみんないい人達だけど、よくしゃべるブラジル人の
中では、私はやっぱりいつも浮いてました。みんなの中にいても孤独でした
だからといって、みんなの会話にも入りたいと思わないし。
気がつくと「あー今日も一人だなー」と考えるようになっていました。



昨年11月頃はホームシックピークで、ノイローゼになっていたのかもしれません。
ブラジルが好きになれないから、頑なに日本語を話し、グロリーニャが
「ママィン」と呼んでも、ポルトガル語なので無視したこともありました。
グロリーニャには、身近な同じ年頃の遊び相手は、アドリアーナの娘レチシア
だったので、「レチシアと遊びたいな~」と私によく言ってきました。
いつもレチシアがちらかしたものを片づけたり、嫌がらせをされるのにです。
私ももう頭がおかしくなってたから「ママ、レチシア嫌い
なんて絶対に言ってはならないことをぶつけてしまったことがあります。
ほんと、母親として最低。。。

そのとき、グロリーニャは言いました。
「ママ、レチシアはまだ小さいのよ。」
はぁっ

日本に帰りたい!帰る!という私に
「ママグロリーニャはママといつも一緒よ。」と。

涙が出ました
ママがこんなんですごく不安だったに違いありません。


「リオに大きな家を買ってビジネスをする。まずはワールドカップへむけて」
それが目標で日本で頑張ってきたのに、夢の1歩を踏み出して、私はどうしたら
いいのかわかりませんでした。そのときは、たぶん、日本に戻って、それまでと
同じく仕事と育児と家事に追いまくられる生活に戻りたかったんだろうけど、
ずっとそういうのもイヤで。自分で、どうしたいのかがわかりませんでした。
苦しくて、寂しくて、友達に長文の愚痴メール、弱気メールを送る毎日。
いい迷惑ですね。
それでも、友達はそんな私のメールにいつもつきあって励まし続けてくれました
「あなたなら大丈夫」「あなたには乗り越える力があるから
「あなたがしっかりしてるからグロリーニャも大丈夫
がんばれがんばれと。

みんなの励ましメールを読んでは泣き、メールしてすぐに返信がくれば、
あーーーつながってるんだとまた泣き。

両親、妹に会いたかった。友達みんなに会いたかった。
日本にいたときは、ちょこちょこっとメールで連絡しあうばかりで、
会うどころか電話さえもしなかったのにね。





何がしたいのか、どう生きたいのか、何が幸せなのか・・・
今までこんなに考えたことありませんでした。今もはっきり答えは出てません。
今言えるのは、あんなにホームシックになったのは、アドリアーナのせいでも
なんでもなく、自分の弱さから。

ペドロと結婚してまもなく丸15年になります。
日本での14年間の間にペドロに何度も言われました。
「ブラジルと日本は全然違う。だから、君と僕も全然違う。」
私はペドロが大好きだから、そう言われると悲しくて目をつぶってきてしまったツケ
がここで一気に出たんだと思います。
ブラジルの表面だけ見て、わかってるつもりになってて、実はペドロには
私の日本の生活に合わせさせていて、ずいぶん我慢させてきちゃったんだなーと。
そう思うと辛くて、自分が悔しくて、また涙がでました
若い時に親の反対を無視して、その時の勢いで国際結婚して、自分では
うまくやってきてると信じ込んでいました。


考え事ばかりして、泣いてばかりの私
ペドロが私に自分の国を嫌いにならないよういつもさりげなく気遣って
くれているのもよくわかりました。
ペドロの友達も親戚も心配して気遣ってくれているのもわかりました。
でも、なかなか真っ暗なホームシックから抜けられなかった。。。
何をしても心が暗かった

ホームシックの感情ってなんなんでしょうね。

・・・長いので、また明日に続きます・・・



応援クリックお願い致します。
     ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ
にほんブログ村


感じたこと | コメント:(4) | トラックバック:(0)2011/06/22(水)11:36

«  | ホーム |  »


プロフィール

Pattinha

Author:Pattinha
2010年8月、ブラジルへやってきました。カリオカの夫と5歳の娘とリオデジャネイロ州マリカ市に滞在中。
子供のころのあだながアヒルだから、Pattinha♡
口がアヒルみたいって。。。
ふん、ほっとけ

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

Flag counter

free counters

FC2カウンター

アクセスカウンター

オンラインカウンター

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。